1994年7月7日、なんとまぁ覚えやすい七夕の日に北海道赤平市に誕生。
このめでたいゾロ目の数字に「恵」をつけたのが私の名前「奈々恵(ななえ)」の由来だとか。
父は年中外仕事で肌が真っ黒に焼けている土木工事の作業員。
母は産後2か月で仕事復帰するほどのバリバリの看護師。私が幼い頃は夜勤もしていました。
3歳~小学校6年生までは父が指導者だったために柔道少年団に入り、学校のクラブ活動でミニバスケットと百人一首。
放課後は男の子たちに混ざってドッヂボールやキックベースをするのが楽しい活発少女。
小学6年では自ら立候補し、選挙を勝ち抜いて児童会長に。その後も中学高校と万年学級委員長。
行事ごとに文章を考えてスピーチしたり、リーダーシップをとって大勢をまとめるのが好きでしたね。
そんな生活の中でなんとなく感じていたのは、「両親が働いてくれているからこの生活がある」ということ。
体調を崩して病院を受診したときにだけ見られる白衣で働く母の姿は、いつも誇らしく感じていたのを覚えています。
父は毎日朝早く、暑い日も寒い日も外仕事。そんな日々でも弱音ひとつ吐かない姿にも強さと威厳を感じていました。
働く父と母の姿に、当時の私はインビジョンが掲げる”働く幸せを感じるかっこいい大人”を見ていたのかもしれませんね。
月日は流れ高校2年、進路を考えなければならない。
大学?短大?でも学びたいことが確立していないのにお金のかかる大学へ入学する意味はあるのか…。
看護師になりたいと幼稚園生のころに行っていたのを思い出しそんな進路も考えましたが、
そもそも私は血を見るのが苦手だし、手先は器用だけど今から看護学校を目指せるほどの頭はないし…
でも、”人のために働きたい”という想いはあったので、医療事務の専門学校へ進学することを決め特待生として入学。
卒業後は、病院で内視鏡・放射線の検査受付と医師事務作業補助者として5年間勤務。
医師が患者様への医療の提供に集中できるように事務作業の補助をする役目を担い、相手が求めていることを察する力がぐんぐん身についていきました。
年齢も性別も育った環境も学歴も何もかもが違う医師たちと”阿吽の呼吸”のような空気が出てきたときには内心お祭り騒ぎ。
でも業務を一通り覚えたあとは、毎日少しずつの変化はあるものの、決められた時間に出勤して同じ業務をこなして退勤時間をまだかなまだかなと待つ刺激のない日々。
医師事務作業補助者の仕事はやりがいも感じていたし楽しかったけれど、人間関係はなんだかごちゃついていてピリピリ。
直属の上司と話す機会はほぼなく、いつも事務室にいてなんだか話しかけづらい、私がどんな業務をしているのか把握されていない、とにかく居心地が悪かった。
仕事に対しての様々なモヤモヤを抱えていましたが、特に転職のアクションを起こすわけでもなく…だって職種としては好きだったんです…
そんな日々が続き、いよいよ勤続5年目を迎えた頃。
結婚・妊娠という人生の大きな節目を迎え、夫の東京への転勤をキッカケに退職に至りました。
娘が2歳半になり保育園へ入園。
半年前に夫が転職し、毎日生き生きと新しい仕事に向き合っている姿を見て刺激をもらっていました。
「よし!私もいっちょ働くかあ!」と意気込んだものの、どこも同じような血の通っていない求人にイマイチどこもピンと来ず漠然とindeedを眺める日々。
なんとなく飲食店で楽しく働こうか…と考えたりもしたけど、ふと浮かび上がった「数年後振り返ったときに自信が持てる”なにか”が残るのか?」という疑問。
すぐに夫に相談。
「ん~、得意なことがあるならそれを強みにするといいんじゃない?好きなことで仕事しなよ!」と。
そうだ…私、タイピングが好き!あの音といい、指の動き。指が勝手に動いちゃうようなゾーンに入った時って快感なんです。
そのヒントから求人検索をしていると、インビジョンのカスタマーサクセスの救世主募集の求人が目に飛び込んできました。
「ヘルプ」の文字と共に倒れている人(後に言霊屋の彩さんだと知る)の写真に、他求人とは全く毛色の違う血の通った文章。
タイピングめちゃ早な人、泣いて大歓迎しますって…私の得意なことが求められている!と心が躍る。
そんな直接私の心に語りかけてくるような文章にどんどん心惹かれていきました。そう、この求人に一目惚れしたのです。
その勢いのままに思いのたけを書き連ね、えいやっと応募ボタンを押しました。
「親として娘の幸せのために働きたい」と思っていたけれど、
最終面談で誠吾さんが言ってくれた「親が幸せなら子供も幸せだよ、まずは親がハッピーじゃないと」という言葉にハッとしました。
子供のための人生にベクトルが傾きすぎていたな、と。まずは私の人生を私自身で幸せに生きねば、と。
仕事をやり遂げて笑顔で娘のお迎えに行ける、あぁ今日も充実した1日だったと眠りにつける、そんな私でありたい。
今回私がインビジョンの求人を読んでHPに飛んで心躍ったように、これからは私がおダシ溢れる血の通った文章を作り、企業と人材を合致させる磁石のような存在になりたいです。
仕事に対しても人生に対しても高い志を持って毎日意味のある日々を送り、「ママみたいな大人になりたい」って娘に思ってほしい。
「働く幸せを感じるかっこいい大人」を増やし、子供たちの未来を明るく照らしたい。
ねぇ見てて ママの私も 絶対なるよ
働く幸せ 感じる大人に