大学卒業後に入社したのは、
後にインビジョンを立ち上げる誠吾さんが1年上の先輩としていたリクルート代理店。
その後、某大手経済新聞グループのHR事業会社での転職サイトの営業など一貫してHR領域の経験を経て、企業人事として転身したのが38歳の時でした。
30代は数字に追われる毎日、体もメタボ寸前という生活だったので、
40代からはシンプルに「楽しく、健康に生きる」ことを心に決めました。
「楽しく働くには自分で楽しい会社に変えていけばいい」ということで
九州に家族でUターンして地元企業の人事に。
健康面ではもともと趣味だったマリンスポーツのなかでも本格的にSUPをはじめ、レーサー(素人)としてデビュー!
年間1500㎞(博多から札幌までくらい)SUPを漕ぐ練習を続け、
42歳の時にタニタの体脂肪計で体年齢が24歳(SUP始める前は体年齢39歳)を達成!
(29インチのスーパースキニージーンズが履けるちょいキモオヤジになりましたw)
しかし仕事面では人事として経営層との壁にぶち当たる。
採った人たちが1年以内に潰れて次々と辞めていく。。
入社後放置、教育に時間と金はかけない、結果は求めるけど評価はしない、もみ消されるパワハラ案件…。売上目標達成のために人が辞めたら採れ!採れ!と。。
「人にお勧めできない会社の採用はできない」「子供に見せたい仕事ではない」そんな想いが募り、
ある日の上席幹部とのオンラインでの採用MTGを途中でぶち切ってしまったのでした。。
博多で人事になって3年が過ぎたころ、誠吾さんから「福岡に進出するから」との電話。
その時からジョインする伏線は存在していたと思う。
それから何度か博多で飲む機会があり、そのたびにインビジョンが今なにを考えているのか、
都度アウトプットしてくれていた。
誠吾さんから聞く話だからなのか、よその話を聞いているという感覚はなく、
自分もそれに参加しているようなワクワク感を抱いて話を聞いていた記憶がある。
ある日、当時の上司とのオンライン会議をぶち切ってしまって、
少し頭を冷やした最初に頭に浮かんだのが誠吾さんの顔だった。
人事として自分ができなかったことをやろうとしているのが誠吾さんなんだろう、ということに気付いた。
長文LINEで誠吾さんに思いの丈をぶつけた。
すぐに誠吾さんから返事が来て、2時間くらい自分の義憤を聞いてくれた。
自分の中で大事にしていることは「自分のあり方が親こどもに誇れるか?」ということ。
誇れる自分であり続けるためにインビジョンの船で漕いでいきたいと考えた。
福岡でこういった縁に恵まれるとは。
人の縁って大事。
#60歳でカレー屋開店が夢
#生涯現役プレーヤ―
#老後なし
#85歳、体年齢40歳が目標
#好きなことしながら死にたい
#年金必要ない人生
#うまいカレーを作れるよう修行中
#お店が流行るようブランディングを学びたい
#こどもたちの一つの見本になる生き方したい
海を漕ぐ おダシ出るまで 博多湾
今日も明日も あさってもw