〜私の原点〜
『私は子供に生きてきた道を話せる人生にしたいと思っています。納得のいく自分らしい一度きりの人生を送ってください。』と、秋田から届いたお米と一緒に入っていた手紙に書いてあった。
こんな素敵な言葉をくれる母とゆっくり語り合った記憶が皆無で、良く話すようになったのはここ最近(私が娘を出産してから)だ。共働き+祖父母同居+3人目の子だったせいか、超超放任主義だった。良く言えば自分の意思を尊重して貰えた。物事の選択権が自分にあったからこそ、その結果の責任が自分にあると早くに学べた事はとても感謝している。
贅沢過ぎる自然豊かな秋田の農家に産まれた私は、ヤンチャな兄が2人いたおかげで叱られない行動を早くから身につけて「気が利くいい子」として18歳まで秋田で過ごし、高校卒業と同時に就職を機に上京した。
〜出会いは成長の素〜
田舎を出て上京したのは、”もっとたくさんの人に会って話してみたいから”
それだけで、キラキラした夢とか憧れは持っていなかった。
最初に就いた服飾(洋裁)の仕事は、友人に「春香、この仕事できるんじゃない?」と言われた事がキッカケで応募した会社だったが、洋服を作る仕事が最高に楽しかったし、人間味溢れる素敵な人たちとの出会いもあって充実していた。
けれど、職場の同僚から「世界一周できる船旅」の存在を聞き、フットワークが軽い私は即行動に移した。よりたくさんの出会いと経験を求めてあっさり退職し、21歳で「世界一周の船旅」に乗船した。その結果、世界中の様々な宗教・人種・生活環境の違いを目にして、自分の視野の狭さと知識の少なさ実感させられた。この船旅では日本各地に住む友達との出会いも大収穫だった!
その後は観光地で仲居をするリゾートバイトをしたり、居酒屋・化粧品販売などの接客をしたり、新潟→東京→兵庫と…落ち着きなく引越しながら出会いと経験を重ねた。
〜大切なもの〜
25歳の転職時に「パソコンを使う仕事を経験したらこの先役立つ気がする」と、漠然とした理由から未経験で事務を募集している会社を紙媒体の求人誌で探した。(当時今ほどネットワーク環境が便利ではなかった)掲載されていた会社の中で「何でも新しいことを吸収したい方!」という言葉に惹かれ、建設会社の事務に応募して事務デビューを果たした。
その会社では幅広い業務をさせて貰って、「プライベートって何ですか?」っていうくらい、仕事と仕事の付き合いに時間を使っていた。きっと会社の方々に頼られているのが“やりがい”になっていたんだと思う。
30歳を過ぎてプライベート無し生活は徐々に変化していき、結婚・出産を機にプライベートも大切だと考えるようになった。家族という自分を頼ってくれる人が増えたからだ。
仕事もプライベート(家族や友達)もどっちも大切と気付くのに少し時間がかかった。
インビジョンのHPで『志』を読んで、吐き気がするほどワクワクした。共感を超え、感銘を受けた。“こんな人と働きたい!”の項目が自分に当てはまったことも重なって(図々しいけれど)私の為の求人だと思った。
「一見品良く、淡々とおこなわれていく世界」「狂育連鎖」「ダサい固定観念(アク)」「人間臭い魅力的なおダシ」そして「働く幸せを感じる、かっこいい大人を増やす」どのフレーズも奥が深くて何度も読んでしまった。
メンバーの方々の紹介ページを見ると、正直な感情が伝わってくる文章たちと魅力的な人物像が想像できた。あぁ、一緒に働いてみたい!
この会社のメンバーになりたい。クルーとして同じ船を漕ぎたい!と、かなり衝動的に応募した。
初回の面談予定が娘の発熱により面談日程調整は先延ばしに…「子持ちで働くって簡単じゃないんだ」と諦めかけたり、2回目面談後の連絡を頂くまでが私には長く感じて「やっぱダメかぁ」とまた諦めかけたり、勝手に浮き沈みしながらの会社で最終面談!
100%ド緊張する対策として、(HPに掲載される想定で)自己紹介文を用意して面談を受けた。今考えても、前のめりにも程がある…。
会社に入った瞬間、目の前に飛び込んで来た「根岸さん、今日は何でも聞いてください!」と書かれた“ウェルカムボード”に目を疑った。面談に来た私に?どんだけ思いやりある会社だよ!!
一緒に働くことになるチームメンバーとの面談では緊張してベラベラ話しすぎたし、仕事体験させてもらったら久しぶりのPC業務に脳内混乱…。代表の誠吾さんには上手く想いを伝えられず、次に面談して頂く智菜さんを待つ間「終わった…」と超ネガティブ思考になっていた私。そこに智菜さんが来て、「よろしく!」と握手を求められた時は再度脳内混乱!!!
ホッとして涙が出そうだった。
インビジョンとの出会い(=縁)を意味あるものにしたい。
スタートに立たせて貰ったことに本当に感謝しかない。
インビジョンが掲げる『働く幸せを感じるカッコイイ大人(女性)』になりたい。大切なのはこれから。
世界中の人が笑顔で過ごせる世の中にしたい。
世界一周を経験してから「社会貢献」「国際協力」というフレーズに敏感に反応する。
今日を生きるのに精一杯な人がいることを自分の目で見て、今の日本は平和ボケしている国だと思った。
実際に社会貢献をしている会社で働いたり、途上国のチャイルドスポンサーをしたり、青年海外協力隊に応募(あっさり落選)してみたけれど、今の自分に何ができるか見つからない。
そんな時ある人に「世界も大切だけど、まずは身近な人やろ」と言われ、心にグサッと刺さった。
まずは身近な仲間・友達・家族を大切にできなくては、他人をどうにかできるわけがない。
一緒に働く仲間とは同じ目標に向かって進んでいきたいし、友達とは年齢関係なく記憶無くすくらい呑んだくれて楽しみたいし、家族はどんな時も味方でいたいと思う。
その大切な人たちが幸せを感じて笑っていてほしい。
そしてもう1つ、自分のスタイルを持ったカッコイイ女性・妻・母でありたい。
と言いながら、これまで出会った人やこれから出会う人に影響されながら生きていくのだと思う。実際ターニングポイントではいつも、人の言葉があった。
人の意見や気持ちを柔軟に受け入れられる人間でもありたい。それも私のスタイル。
アク取りと 言葉の力 良いおダシ
子どもの未来 変えられる