2011年3月11日東日本大震災、僕は宮城県に居た。
停電、断水、大雪、道路はぐちゃぐちゃ、加えて大津波。ラジオから流れる「沿岸部は壊滅状態です。」という放送を耳にして、僕は最も甚大なダメージを受けた沿岸部へ向かった。
そしてがれきの撤去作業中、僕は初めて死体を見た。
「自分もそのうち死ぬ」と解り、「どうせそのうち死ぬんだから、バカおもしろい人生を送ろう」と心決めた。
被災地は死の話ばかりではない。
僕はそこで、ドクターヘリが人の命を救う瞬間を目撃した。シンプルにくそかっこいいと思い、ドクターヘリ搭乗を目指し医療系大学に進学した。
大学では救命医療やドクターヘリの事を熱心に学んだ。だが学べば学ぶほど、クッソ運転したくなった。クッソパイロットになりたくなった。
だから僕はヘリコプターパイロットになるために、東京消防庁に入庁した。同期で唯一、病院就職せずに公務員になった。
入庁まで6か月くらい時間があった。だから僕はホームレスになり、日本を、世界を旅した。
その中でも特にインドのバラナシは最高だった。そこで僕はガンジス川の対岸まで泳ぐという偉業を達成した。日本人では100人くらいしかいないらしく、現地のヒンディー達にちやほやされた。
喋れる言葉まで縛られる、公務員生活が始まる1週間前まで、僕は究極の自由の地バラナシで沐浴していた。沈没していた。
そして、東京消防庁に入庁した。
まとめると僕は、「ドクターヘリホームレス系公務員」だった。
公務員になり、僕のこころに「働く」という事に対しての違和感が生まれた。
パイロットになる野心を持って入った環境は
「仕事の意味を考えたら負け」
「見て見ぬふりをするのが吉」
「みんなやっているんだから、お前もやれ」
というような同調圧力にまみれたところだった。働くってこんなにつまんねーの?そう思った。
そんな環境に身を置いた僕は、次第に仕事や環境に対して愚痴るような、くそダサい社会人になっていた。心が死んでいたのだ。
そんな気持ちでパイロットに成れるはずがなかった。選抜試験に落ちた僕に対して周りは「また一年後、チャンスあるから頑張れよ」と声をかけた。
「もう一年、ここで過ごすのか?」自分に対して問いを投げたが、答えはもちろん「NO!!」だ。僕は退職を決意した。
「仕事の意味を考えたら負け」みたいな雰囲気で、日本が良くなるわけがない。
自分たちの頭でめちゃめちゃ考えて、日本を良くしていこう、改革していこうとしている、ビジネスガチ集団、これが僕のいるべき場所だ。
そんな中、インビジョンに出会った。
ガチで日本を変えていこうとしている姿、ガチでビジネスに取り組んでいる姿、それをめちゃめちゃナチュラルにアウトプットする誠吾さん。ここだと思った。くそかっこいいと思った。
パイロット以上に「働くかっこいい大人」になりたい、そう思った。
インビジョンにジョインし、ビジネスガチ人生がスタートした。
「日本をガチで良くしていきたい!」と目標をもって公務員になったが
「仕事の意味を考えたら負け」
「見て見ぬふりをするのが吉」
「みんなやっているんだから、お前もやれ」
そんな同調圧力にまみれた組織体質に対して、僕と同じようにくすぶっている公務員が全国にいるに違いない。
そんな公務員たちと協力し合い、日本を最高に強くしていきたい。
同調圧力にまみれたイケてない今の日本を、公的機関から変えていく。
これがएक बहुत उज्ज्वल पूर्व सिविल सेवक(すごく明るい元公務員)दायची सासाकी(佐々木大地)だ。ナマステ。ダンニャワード。
我が使命 日本沸騰 気付かされ
脳みそ沸騰 失神バースデー