吉田シャークゆうのパリ紀行 2023〜2025年

インビジョンで広報、クリエイティブを担当している吉田シャークゆうです。
私は2023年4月から2025年1月の約2年間パリで生活し、先月に帰国しまた。
パリで経験したことが私の人生に大きな影響を与えたことは間違いなく、行動によっていくらでも人生は面白くなる。だから「やってみよう。」というテーマで、振り返りたいと思います。
パリへ行く。

2023年、私は映像作品の撮影を行うためセーヌ川を調査するべくパリへ向かった。
普段、私はサメをモチーフにした芸術作品を制作している。インビジョンに入社する前からだから、かれこれ18年近くサメをモチーフにした作品を作り続けている。ある時、私の出身大学に卒業生対象の奨励賞があり、応募してみたところパリに一年間滞在制作する「パリ賞」という賞を受賞したのだ。(この賞を受賞しパリに行くまでのお話はこちらからご覧いただけます。)
仕事と制作活動の二足の草鞋で生活している私にとって、制作活動に関する仕事との調整を今までも社長の誠吾さんに幾度となく願いしてきた。そんな私も、流石に一年も日本を離れ、パリに行くことなど可能なのか、ここでインビジョンを辞めざるを得ないのか、と頭を抱えた。悩んだ挙句、意を極め、ダメ元で誠吾さんにパリ行きを相談した。
第一声は「パリ!?」、そらそうだ。しかし、受賞した経緯を話していくうちに、「めっちゃいいじゃん、いってきなよ」と誠吾さん。質問をされるわけでもなく、まず第一に一緒に喜んでくれた誠吾さん。そして、滞在中は大学からの支援金もあるものの、「インビジョンパリ支部の誕生だ」なんて、一緒にワクワクして、リモートワークをOKしてくれた誠吾さん。私は、豆鉄砲を喰らった鳩かの如く驚いた。しかし心の中ではウヒョウヒョ踊っていたし、一緒にワクワクしていた。冒険なんてしたことないが、人生も半ばに来て本当に冒険に出掛けることになったのだ。
セーヌ川にサメを泳がせる。

パリでの目的は「セーヌ川にサメを泳がせる」。なんのこっちゃと思われても仕方がない。「セーヌ川にサメを泳がせる」とは、サメのヒレの模型をセーヌ川に浮かばせてセーヌ川にサメが泳いでいるフィクションを作ること。昔から密かに考えていたプランが実現できるかもしれない。長年サメをモチーフにして作品を制作している自身にとって、外国での処女作になる。
「芸術の都」と名高いパリと言えど、芸術だったら何をやっても許されるなんてことは無いだろう。大都市の真ん中を流れるセーヌ川にはそれなりにルールがあるだろう。それに、翌年にはパリオリンピックが開催される。そう思って、セーヌ川に関する規則などを調査し始めた。しかし、色々手当たり次第調べてみたものの該当しそうなルールが見当たらない。様々な可能性を考えつつ、人通りも少なく、遊覧船も動き出す前の早朝に実行することにしたのだ。
セーヌ川では、毎日警察がパトロールを行っていた。しかし、パトロールの情報は事前に調査済みだったので、順調にサメのヒレの模型を泳がせ撮影を何日かに分けて実施した。ところがある時、おもちゃの水中モーターを付けたサメのヒレの模型を着水し流していると、ウェットスーツを着て酸素ボンベを背負った警察官がパトロール用のモーターボードで近づいてきた。近くまで来るとセーヌ川に飛び込み、さらに私が意図的に流していた模型めがけて泳いでいく。私の模型を拾い上げたのだ。一瞬何がなんだかよく分からなかった。
冗談で「警察に職質されて、捕まったりしてね。」なんてことが現実に!?パリで本当に職務質問をされることになるかとヒヤヒヤしていた。フランス語も話せないのに、なんて説明したらいいのか模型を手にした警察官が近づいてくる数秒の間に、高速回転で頭を巡らせた。あくせくしている私に、警察官はほいと拾った模型を手渡してくれた。どうやら川に落として拾えなくなったと勘違いされたようだ。
冷や汗をうっすらかきながら、出てきた言葉は「メルシー(ありがとう)」と「ジュ スィ ユン アーティスト(私は芸術家です)」。
何はともあれ、職務質問されることもなく、怪しまれることもなく、その場は何事もなく過ぎ去った。
事前に様々なリサーチをしていても、現実はどうなるかなんて誰にも分からない。運が良かった、そんな事もあるだろう。成功したか上手くいったかは分からないけど、一定のルールを守ったり、人の道から外れないなど、自身の中にあるボーダーラインは守りつつ、本当に一歩前に踏み出すことが現実になるんだと実感した出来事だった。
やることなすこと全てが「はじめまして」。
2019年に一度旅行でパリを訪れたことがあるのだが、そんなことはただの思い出にしか過ぎず、制作活動に関わらず、生活全てが「はじめまして」だった。制作をすると言っても現実は何をどうやっていいかも分からないことだらけ。

デモ対策としてデパートなどの大きなウィンドーに板でカバーしている様子。

オリンピック期間中の街中の様子。
エッフェル塔には五輪マークが掲げられ、チュイルリー公園には聖火台の気球がオリンピック期間中設置され、夜になると空へと浮かび上がっていました。
私が到着した2023年4月は年金会制度改革に対する大きなデモがあり、フランス社会の形式を初めて目の当たりにした。夏の陽が長い北半球では、短い夏を謳歌する文化を持ち、バカンスに人生をかけるフランス国民に圧倒されたり、夏とは真逆に暗い冬に鬱々としたり、環境の変化に大きく左右された1年目だった。
2年目になると、ビザ更新などの行政手続きから、パリオリンピックという大規模な世界祭典に参加したり、物価高騰などの経済状況全てにおいて、良くも悪くも葛藤する日々が続いた。
その中でも唯一日本との繋がりは、インビジョン。インビジョンの存在は、日本とフランスの違いを認識すること、初体験の答え合わせをしていくことができる大きな指標になっていたのだ。
「やってみよう。」
それから、約2年越しに日本に戻り、再びインビジョンのオフィスに通う。
パリでの生活を振り返ってみれば、パリ賞をもらったこと、パリに行くことを選択してもインビジョンとの関係を継続してもらったこと、フランス語が分からなくても目的のために主張したこと、全て初めての経験だった。右も左も分からないので、とにかく行動するしかなかったと思う。
どんなことでも経験は初めてのことで、経験は行動から始まる。その経験を積み重ねたものが人生であるなら、自身も周りも巻き込んで面白くするために行動あるのみ。
そして私は、こうやってまたインビジョンのみんなに迎え入れてもらっている。

この記事を書いた人

林檎屋/クリエイティブ
𠮷田 ゆう
人生の目標は、サメになること。美大を卒業し、サメの魅力を表現する作家として、インビジョンの世界観を広める広報として、二足の草鞋で走行中。約2年間パリでも二足の草鞋走行し、帰国。極度な偏愛性と俯瞰しすぎた視点の持ち主。